日本には昔から様々な言い伝えがあります。
例えば「夜に爪を切ると親の死に目に立ち会えない」というもの。子供の頃は「明日体育の授業だから爪を切りたいけど、どうしよう…」などと悩んだものでした。
こういった言い伝えは何となく始まったものではなく、必ず理由があります。
諸説ありますが、これは「十分な明るさがない夜に爪を切ろうとして、手を滑らせて指を傷つけたら危険だから」ということから始まったようです。
昔は爪切りではなく刃物で爪を切っていましたから、今よりも慎重に行う必要がありました。
つまりこの言い伝えは、本当に縁起が悪いのではなく、危険さから遠ざけるために出来たものということです。
では「鼻緒が切れる」というのは、本当に縁起が悪いことなのでしょうか?それともこの話のように危険から遠ざけるといった理由があるのでしょうか。今回はこの言い伝えについてお伝えいたします。
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現代では「靴紐が切れると縁起が悪い」?
よく漫画や小説で、ぶちっと靴紐が切れると「縁起が悪いな」なんて言うシーンを見かけませんか?
これは「鼻緒が切れる」というのが現代バージョンになったもののようです。
鼻緒というのは、下駄や草履についている、足の指で挟む部分のことです。こちらは3点でしか支えられていませんので、靴紐と比べると格段に弱い作りのものでした。
それに比べてスニーカーなど現代の靴は、随分と頑丈な作りになっています。そんなものの靴紐が切れることなんて滅多にありませんから、時代に伴い履くものが変わっても、こうして言い伝えは残っているのだと思います。
大正時代からの風習が関係していた!
「野辺送り」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
故人の体を、火葬場や埋葬地に葬列を組んで運んでいくことを指します。現在の日本ではほぼ火葬となっていますので、この言葉を使うことも少なくなってきましたが、大正・昭和時代に使用されていました。
昔は葬儀ではなく自宅で葬儀をし、親戚などが故人の棺桶を担いで運んでいたため、こういった言葉が使われていたようです。
実は「鼻緒が切れると縁起が悪い」というのは、この風習に関係していたようです。
棺桶を運ぶ際には、いつも自分が使用している草履ではなく、新しく用意されたものを使うようにとされていました。
埋葬が終わると、その新しく用意された草履は「鼻緒を切ってから」墓場の入り口に捨てる決まりがありました。ただ捨てるだけでなく、わざわざ鼻緒を切ってからです。
その理由は、埋葬した場の死霊が、捨てられた鼻緒を履いて参列者について来るのを防ぐためでした。
こういったことから、「鼻緒が切れる」というのは「葬式」「死霊」といったことを連想させるため、不吉とされていたのだと考えられます。
日本には「死」を恐れて避ける文化がある
日本は「死=穢れ」と考える文化があります。これは神道の影響ですね。
もちろん故人が穢れているということではなく、「死」というもの自体にそういった意味があると考えられていたためです。
例えばお清めの塩がそれに当たります。葬式の後に配られたお清めの塩は、自宅に入る前に身体に振りかけます。死霊が家に入ってこないようにするためです。
それに加えてもう1つ、身近な人が亡くなってしまうとどっと疲れてしまい、「気枯れ」してしまいます。この気力を失ってしまっている状態が「穢れ」に関係するとされていたようです。
日本人はお盆に故人が家に帰ってくると考えたり、故人の存在を近いものとして捉えていると思います。
生まれた瞬間から「死」に向かっているため、それ自体を穢れと捉えるのは、あまり良いとは言えない考えかもしれません。しかし、それを恐れる気持ちは誰にでもあります。
そんな気持ちこそが、こういった言い伝えを生み出したのではないでしょうか。
まとめ
1.「靴紐が切れると縁起が悪い」というのは、「鼻緒が切れると縁起が悪い」という言い伝えの現代のバージョン
2.大正や昭和時代の風習、「野辺送り」に使った草履の鼻緒を切って死霊が追ってこないようにするということから、「死」を連想させる「鼻緒が切れる」ということが不吉とされた。
3.故人を近く捉える日本文化であるが、死を恐れる気持ちはどうしてもあり、その気持ちこそがこの言い伝えを生み出したのではないか。
「夜に爪を切ると親の死に目に立ち会えない」のように、何か危険から遠ざけるものではありませんでしたが、こういった昔の風習が影響されていたんですね。
文化が変わってもこうした言い伝えが何百年も残っているのは、なんだか不思議な気持ちになりました。