今も昔も根強いファンのいる「三国志」。個性的なキャラが様々登場し、各々に魅力がありファンがいます。
歴史物でここまで愛されるのほ半島に素晴らしい作品。
漫画はもちろん、アニメ、実写、ゲームまで製作されており、
老若男女構わず愛され、ストーリーは知らなくとも作品タイトルや一部登場人物は聞いたことある人は多いのではないでしょうか。
私もストーリーはそこまで詳しくないのですが、歴史の授業と高校で習う漢文に登場していたので作品タイトルには馴染みがあります。
三国志のストーリーの中から生まれた名言も多く、奥深いものが多いので現代社会でも心の支えにできる言葉が多いですね。
検索するとたくさんでてきます。多くの名言を残した三国志の中から「よく聞くけどこれってどういう意味?」と思ったワードを一つ取り上げてみました。
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多くの言葉を残した諸葛亮
一言に名言といっても良いものもあれば悪いものもあります。
よく聞く代表的なものとして「反骨の相」があります。
この言葉を発したのが「諸葛亮(公明)」という人物。
蜀漢の政治家・軍師。蜀漢の建国者である劉備の創業を助け、
その子の劉禅の丞相(君主の補佐)として従事した人物です。
劉備亡き後に国内当地の実務を取り仕切る立場となりました。
そんな諸葛亮が「魏延」に対していった言葉が「反骨の相があるので斬るべきだ」と
劉備に助言したことこそ「反骨の相」という言葉が出てきたと考えられます。
いまでもよく聞く言葉ですよね。
反骨の相って何?反骨精神とかって一緒なの?と結構混乱しがちな言葉です。詳しく見ていきましょう。
反骨の相の意味
「反骨の相」:頭蓋骨が後ろへ突出している様子。裏切り者の象徴として用いられる言葉。
なぜこのような言葉が三国志時代で使われたかというと、当時「人相学」という顔立ちで人の性格や運勢を表す占いのようなものが流行っていたからだと言われています。
その中での「反骨の相」とは頭お後方部分が出っ張っている人のこと。
この頭の形だと、人を裏切るなど良くない相として知られていました。
諸葛亮は魏延に対しこの言葉を放ち、劉備に魏延を処刑するように進勧めていたのです。
しかし、劉備は魏延を臣下として従えることにしました。
三国志の中では数々の「裏切り者」が出てきますが、「反骨の相」を持っていたのは記述上、魏延だけとなっています。
似た言葉として「反骨精神」がありますがこれは意味が全く違うもの。
「反骨精神」とは、世の中の不正や、因習などに果敢に立ち向かっていこうとする気概や心持ちこと。三国志でできたような使い方はしませんのでご注意を。
顔の形から運勢や性格がわかる?
さて、諸葛亮は魏延の顔の形からその性格を述べたわけですが、実際に顔から性格や運勢を読み取ることは可能なのでしょうか?
「性格は顔にでる」とはよくいったもので、怖い仕事をしている人って目つきが鋭かったり」眉間が狭かったりしますよね。
心とともに顔つきも変わっていくことも一理あるかもしれません。
人相学といっても歴史は古代ギリシャ時代まで遡り、それが起源かも明確ではありませんが相当古い占術であることが分かっています。
中国にも古くからあり、三国志ではその記述がちらほら出てきています。
日本は室町時代の文献にあるようです。江戸時代に人相学の本が大量に輸入してきたことをきっかけに、民間でもブームが起こっていたようです
日に日に変化する人相
魏延のように骨格上から判断する人相と眉の形やこうかくのあがりさがりなどのパーツで判断される人相。
前者を変えるのはかなり困難ですが、後者は化粧の仕方や普段からの意識で変えることができます。
仮に骨格上の人相が良くなかったとしても、ホクロを書き足して見たり、眉を整えたりすることで大きく人相が変わることも。
置かれている環境や意識でかおのきんにくの使われ方が変わるので、
ネットで検索して見て自分がどんな人間になりたいのか一度調べてみるのも良いでしょう。
ちなみに私は眉を整えて見たり、ホクロを書き足したりしています。大きな変化はなくとも、自分の心の持ちようが変わるのでオススメです。
まとめ
・三国志の諸葛亮の一言から生まれた「反骨の相」は裏切り者の人相の意味。
・顔つきから性格や運勢を占うもおが「人相学」。
・人相学の歴史は古く、日本では江戸時代にブームになった。
・置かれる環境や日頃の顔つきで人相は変わる。
人付き合いをしていく上で、顔の第一印象はかなり大切で大部分を占めます。「人相が悪い人」と思われないように日頃から表情は気をつけておきましょう。