人間は性別や生まれなど関係なく、みな平等な存在です。
しかしそれがあくまで「理想」となっていて、実際にはそうではないのだと実感することが多々あります。
私は来年社会人になる大学生なのですが、就職活動の際にそれを強く感じました。
「取引先は男ばっかりで君は女の子だけどやっていけるの?」ということを言われたり、逆に「これからは女社会だから男なんかに頼らずに生きていけるように」なんていう主張をする社員の方と出会ったからです。
日本は昔から男尊女卑と言われていますが、女性の社会進出などの環境の変化に伴い、最近では女尊男卑という言葉も耳にするようになりました。
しかしどちらかが優れている性かというと決してそんなことはなく、私たちはただ特徴が異なる同じ人間です。
今回は、男女が平等な社会になるにはどうしたら良いのか、私なりの考えをお伝えしたいと思います。
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男尊女卑はどうして生まれた?
これは様々なことが絡み合っているため、安易に理由を述べることはできません。
しかし体力=権力的な力、という世の中になったのも原因の1つであると思っています。
武器を持ちわかりやすい形で利益を示すことのできる男性は、経済的にも優位に立つようになりました。
明治時代、平塚らいてうは、女性向けに「青鞜」という雑誌を出版します。そこには、「元祖女性は太陽であった。(中略)今、女性は月である。」という文章が載っています。
太陽のように自らが輝くのではなく、その力をただ借りて光るだけの月になってしまった、ということを主張しているわけです。
このように、男尊女卑の歴史はかなり昔からということがわかります。
逆に言うならば、いまだにそんなことを主張している人は、古臭い人間ということです。
女尊男卑が生まれたのは何故?
これははっきりとしたデータが何もありませんので、私の考えになります。
女性の社会進出などが進み、男女平等と言われる日本社会になってきました。しかし、風潮というのはなかなか変化するものではありません。
そこで女性を軽んじてきた男性を、必要以上に敵視した結果生まれたのが、女尊男卑だと思っています。
男女平等にするためにどうすれば良いのか
例えば私が就職活動をしていたときの話です。
とある会社の説明会に参加したとき、男性は営業職、女性は事務など内勤での募集だと言われました。
私は営業職志望でしたし、本人の特性を見てからならば分かりますが、最初から性別で判断するのは男尊女卑ではないかと思い、なぜ女性の営業職を志望しないのか質問しました。
すると、「営業職はかなり重いものを持ち走り回るような仕事です。交渉力に長けたような女性は営業職として是非採用したいですが、実際の体力問題として、この仕事は女性の体には負荷が大きすぎると判断しました。そのため、そういったことに興味がある方には、特に営業補佐のような仕事をしていただいています。」という回答をいただきました。
この内容からは、女性を軽んじているという印象は一切受けませんでした。
難しいところですが、「平等」と、「特性を無視して同じ扱いをする」は全く違うことだと思っています。
もしかしたら改善の余地があるかもしれませんが、そういったことをこの会社はよく理解しているのではないでしょうか。
ここでは体のつくりのことだけが話題に上がりましたが、感性なども男女では異なります。
「平等」ということが、男女で同じ物事をすることなのか、互いの長所を生かし役割分担をすることなのか、それは場面によって違うということを理解する必要があると私は思っています。
綺麗事のようになってしまいますが、「平等」という曖昧な言葉に任せるのではなく、私たち1人1人が多様性を認め合うことから、本当の意味での平等な社会作りは始まるのではないでしょうか。
まとめ
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男尊女卑が生まれたのは、生物的・歴史的など様々な理由があるが、体力=権力となったことも原因の1つでは。
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それに過剰に対抗しようとして、必要以上に男性を貶めたのが女尊男卑では。
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本当の意味で「平等」を目指すならば、男女はそれぞれ長所が異なるのだから、「男女平等=互いの特性を無視して同じことをすること」ではないと考えるべき。
歴史的な問題は、簡単に解決することではありませんが、まずは1人1人がこの問題についてきちんと向き合うことから始まるのではないかと私は思います。