ラジオやテレビ番組など日常生活のなかで「下駄をはかせている」という言葉を耳にしたことはありませんか?
現代ではそもそも下駄に触れることがないので、相当昔から伝わる言い方なのかな?と予想されます。
しかし一体「下駄を履かせる」とはどういう意味があるのでしょうか。
由来や使い方を併せてご紹介します。
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「下駄を履かせる」の意味・由来
「下駄を履かせる」とは「実際よりも多く見せる」「上乗せする」「価格を高く偽る」「数量・点数の水増し」という意味があります。
これは下駄を履くことで背が高くなることが由来となっています。
初出は1767年に成立した雑俳書「川柳評万句合」だそうです。
「下駄を履かせる」に似ている言葉
「下駄を履かせる」と同じ「下駄」を使った言葉で、「下駄を履く」というものがあります。
「下駄を履かせる」は「下駄を履く」を転じた言葉です。
「下駄を履く」というのは「他人の遣いで買い物をするときに値段を水増しして差額を騙し取る」という意味の慣用句になります。
「勝負は下駄を履くまでわかならい」という言葉がありますが、ここでいわれる「下駄を履く」というのは「物事が無事終わり、帰り支度をする」「対等に勝負できる立場(下駄を脱がなくていい立場)になってはじめて競うことができる」という意味だそうです。
「勝負は下駄を履くまでわからない」という言葉の初出は江戸時代ですが、由来は不明だそうです。
例え10対6などの結果になっていても下駄を履く(席を離れる)までは勝負は確定しないという意味合いがあります。
他には「下駄を預ける」という言葉がありますが、これは「万事を頼んで、一切を相手に任せる」「物事の処理を頼む」「決着がつくまで」などの意味があります。
「人に預けた下駄を返してもらうまでは、どこへも行けない」「自由に動くことができなくなる」というのが由来です。
しかし、これは「相手を信頼しているから預ける」という意味合いはありません。
無条件に一切を相手に任せるという意味合いが強いです。
初出は1692年に成立した浄瑠璃台本「天智天皇」だそうです。
「下駄を履かせる」の適切な使い方
「点数に下駄を履かせる」
「下駄を履かせてもらってまで成績を良く見せても自分のためにはならない」
「調査結果の数値に下駄を履かせるのは悪質極まりない」
「多くの学生が水準に達成せず、やむを得ず下駄を履かせた」
「企画を通すために示す統計データに下駄を履かせた」
「業績の数字に下駄を履かせる」
「試験結果に下駄を履かせてもらったので合格できた」
「下駄を履かせた結果を利用する」
現代でも「下駄を履かせる」という言葉は至る所で使われています。
しかし例文を見てみると不正と同等の意味合いが強いように感じますね。
数字の水増しに関する言い回しが多いようですが、現代ではまた一味違った意味で「下駄を履かせる」と使うこともあるようです。
社会に出ると「実際の能力よりも高く見積もられている」と思いを抱かれている経験がある人がいるかと思います。
周囲からの評価に対し、自己評価が低いという状態ですね。
それを「下駄を履かされている」と言うそうです。
また、「若いから多めに見てもらえる」という状態に対しても「下駄を履かせてもらっている」というそうです。
例文では実際の数字に対して水増ししているという意味合いのものばかりですが、現代では決してそれだけではないようですね。
逆に「周囲から高く見積もられていた評価が適正になった」「勤務年数を重ねるにつれて多めに見てもらえることはなくなった」という状態を「下駄がなくなる」と表現するそうです。
「下駄がなくなる」については語源などが見つけられなかったので比較的最近できたスラングなのかな、と考えられます。
昔作られた言葉が、現代において形を変えて使われるのは日本語の面白いところですね。
まとめ
・「下駄を履かせる」とは「実際よりも多く見せる」「上乗せする」「価格を高く偽る」「数量・点数の水増し」という意味。
・下駄を履くことで背が高くなることが由来。
・「下駄を履かせる」は「下駄を履く」を転じた慣用句。
本来の意味合いで、若い人が「下駄を履かせる」と言っている場面はほとんど見ませんね。
しかし調べてみると銀行員、教師、将棋・囲碁業界などでは今でも使われている言葉だそうです。
良いことではないのですが、「実際より多く見せる」など直接的な表現ではなく、「下駄を履かせる」と言いまわすのは日本語の乙な表現ですね。