「正直者は馬鹿を見る」という言葉があるように、真面目な人の方が、ちゃらんぽらんに生きている人よりも損をしていることはあります。

例えば不良が更生したとき。

周りは「昔はやんちゃしてたけど今は立派になって…」なんて持て囃して、彼や彼女を褒めます。たしかに過去の行いを反省して更生したことは素晴らしいですが、だからといってそれは褒められるべきことですか?

私は当たり前のことだと思ってしまうのです。

昔からずっと真面目だった人の方がえらいのに、そちらにはスポットが当たらず、途中から変わった人の方が評価される。

それってとても理不尽だと思いませんか?

そんな訳で、この「真面目な人が正当に評価されない」ということに対して、私はずっと生きづらく思い悩んできました。「どう生きるか」というのはとても難しい問題ですが、私なりに考えたことがあるので、今回は同じように悩んでいる人にそれをお伝えしたいと思います。

何故真面目な人は生きづらいのか

真面目な人は、自他共に厳しい場合が多いです。

自分に高いハードルを設定し、それを達成しようと努力しますが、周りにも同じクオリティを求めることがあります。

人間というのは不公平さを感じると不満に思う生き物なので、「なんで自分ばっかり頑張っているのだろう」と思うとそれが不満になり、相手に厳しく当たるようになります。

しかし当然ながら、人間は1人1人違うため、目指しているところも違います。あなたよりも高いところを目指す人、同じくらいの人、低いところで納得する人もいるのです。

そのため、真面目な人が言っていることは正しいと分かるけれど、それについて行くことができないと感じる人は、敬遠し始めます。

その周りの態度が、真面目な人が生きづらいと感じている原因だと私は思います。

ちゃらんぽらんな人は、「こんな感じでいいか」というスタンスのため、あまり他人を責めることがありません。それこそが世渡り上手というか、生きやすいことに繋がっているのではないでしょうか。

真面目なことは短所なのか?

これは絶対に違います。

真面目なことは間違いなく長所です。

自分に厳しくするというのは、誰にでもできることではありません。私は不真面目ではないですが、ものすごく真面目かと言われるとそうでもないので、自分より真面目に生きている人のことをとても尊敬しています。

ただ1つ気をつけた方が良い点は、先ほども述べたように、自分と他人が違うということを理解すべきだということだと思います。

誰のために真面目に生きるのか

真面目に生きるのは自分のためにすべきことです。

私は最近よく、人生はあっという間だと思います。夢に向かって努力しなかったり、やりたいことをやらなかったら、あっという間に時間は過ぎてしまいます。

何歳になってもやりたいことはできますが、身体がついてこないということもあるので、今自分が何をやるかということはとても大切です。

その「行動」と同じように、どう生きるかという「信念」もとても大切だと思いませんか。

大げさな言い方になってしまいますが、私は10年後の自分に「今はこんな生き方をしている」と誇りたいです。

自分に向かって誇りたいので、そこに他人は関係ありません。

「真面目に生きるのが馬鹿らしい」と感じてしまうのは、他人と自分を比べているからではないでしょうか。

他の人と比較しないというのは、目標を持って生きている以上とても難しいことです。

しかし、誰のために自分は真面目に生きているのか。自分が誇れる人生を送るためではないのか。そう考えたら、馬鹿らしいと思う気持ちも少しは減らないでしょうか。

私はそう考えてから気が楽になりました。

それでも他人と比べてしまうこともありますが、「10年後の自分に誇れるように」というのを積み重ねていけば、自分が満足する人生を送ることができると信じています。

まとめ

  1. 真面目な人が生きづらいのは、自他共に厳しいため、それについていけない他人から敬遠されてしまうことがあるため。
  2. 真面目なことは絶対に長所であるから、自分と他人は異なるということを理解すべきである。
  3. 「真面目なのが馬鹿らしい」と感じてしまうのは他人と比べているからなので、誰のために真面目に生きるのかを考える。

真面目だから評価される、というのはなかなか難しいことです。

それでも私はちゃらんぽらんに生きて後で悔いるのは嫌なので、自分のためにコツコツと努力するなど真面目に生きたいと考えています。

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